国際音痴が米英中ソを敵に回す
田久保 忠衛
杏林大学客員教授・政策研究フォーラム副理事長
日露戦争でロシアの要塞旅順を陥とした乃木将軍が敵将ステッセルと開城の交渉をしたとき、
敗者に佩刀を許した美談は「昨日の敵は今日の友」と歌われた。武士道あるいは軍人精神の発露だと日本人は深い感銘を受けた。
しかし、先の大戦で終戦間際に、日ソ中立条約の有効期限がまだ一年残されていたにもかかわらず、
ソ連は満州、樺太、千島に一斉攻撃を加え、北方四島を含めた日本の領土を占領し、いまだに返還要求には応じていない。
旧関東軍六〇万人をシベリアその他の強制収容所に最長一一年間にわたってぶち込み、飢えと寒さと重労働で六万人が死亡した。
在満一般邦人一二〇万人の苦労は筆舌に尽しがたいが、わけても婦女子がどのような目に遭わされたか。
それに加えて独裁者スターリンは「日露戦争の仇を討った」とうそぶいた。
個人間の関係と国家間の関係の区別のつかない日本人はこれまでずい分外交面で損をしてきたと思う。
最たる例は一九二一年から二二年にかけて開かれたワシントン軍縮会議で日英同盟が廃棄されたことだった。
日露戦争後に日米関係は満州の市場をめぐって摩擦を起こし、同時に日本人に対する人種差別が米国内で公然と行われた。
ロシアという「共通の敵」を想定して結ばれた日英同盟は次第に意義を失なっていく。
日英米対ロシアの対立の構図は日対米英の対立に知らぬうちに切り替えられる。
米外交史の教科書と言っていい、ジュリアス・W・プラット氏の著作にも「ワシントン会議の目的の一つは日本に受け入れられるような代替案をつくることによって、
日米同盟を廃棄することであった」と書いてある。それが日本には分らなかった。東京裁判でただ一人、
国際法の権威として日本無罪の判決を書いたインドのラドハビノッド・パル判事が何度となく引用した英王立国際問題研究所発行の国際情勢概観は、
米英両国が「礼節のある陽気な態度」で、「日英同盟を四カ国条約に日本の対中二十一カ条は対中借款協定および中国に関する九カ国条約に、
と次々に差し替えられていった」と淡々と記している。
結局、日本は米英中三国を向うに回して死闘を演じ、最後にはソ連に仲介を依頼して逆にひどい目に遭った。国際音痴の好例である
|