ユーロの憂鬱
谷藤 悦史
早稲田大学政治経済学部教授、政策研究フォーラム理事長
二〇一一年十二月に、欧州首脳会議が緊急対応策を打ち出したにもかかわらず、年が明けても、ユーロ安が止まらない。
新年から二月にかけて、財政状況の悪いイタリアやスペインなどの国債発行が続く。
社債の償還が重なる主要銀行には、国債を購入する余力がなく、ユーロに対する不安が加速している。
結果的に、対ドル、対円いずれに対しても、ユーロ安となる。
アメリカの経済や日本の経済が好調というのではなく、ユーロ経済が著しく低迷している。
世界経済は、中国への依存を強めているが、中国経済の見通しも決して明るいわけではない。
中国経済にとって、ユーロ市場が大きな役割を果たしていたからである。
こうして、ユーロの危機が、世界的な経済危機に連鎖して拡大する。
ユーロが導入されてから一三年。
一七カ国、三億人を超える経済圏となったが、統一通貨ユーロの試みは、最大の試練を迎えている。
振り返れば、市場統合から通貨統合に向かったEUの試みは、世界経済で影響力を失いつつあったヨーロッパ諸国の再生を模索するものであった。
それは、戦後の福祉国家の試みを、国家を超えて拡張するものであった。そこには、国家が市場経済に従属するのではなく、
優れた危機管理能力で、市場経済からもたらされる危機に対応できるという考えが内在していた。
ヨーロッパ諸国は、多国間の協調でそれを達成しようとした。そこには、ヨーロッパ的なるものと国家的なるものが混在していた。
ヨーロッパ以外の地域に対しては、ヨーロッパの繁栄と福祉が強調されるが、ヨーロッパ域内では、それぞれの国の繁栄と福祉が強調された。
ユーロの試みもそれに翻弄された。
ユーロを維持するために安定成長協定が導入され、単年度の財政赤字が国内総生産の三%を上回ってはならず、国債残高が国内総生産の六〇%を下回ることがうたわれた。
〇二年にポルトガル、〇五年にギリシャが、これを超えたが、制裁金は課されなかった。
また、〇五年にはドイツとフランスも三%を上回ったが、同様に制裁金は課されなかった。
それどころか、国債発行による生産性向上や経済状況にあわせた財政政策の導入など、規制が緩和された。国家の論理と事情が考慮されたのである。
通貨は統合されたが、通貨政策は各国の事情に委ねられたままである。
これが、ギリシャの財政危機を加速させた。EU全体の危機管理能力が試されている。
それは、ヨーロッパとして生きるか、国家として生きるかの選択でもある。晩期資本主義の世界経済は、そうした問いかけを、
ヨーロッパを超えて問いかけているように見える。
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