民主党は今こそ「責任野党」の姿示せ
加藤 秀治郎
東洋大学法学部教授、政策研究フォーラム副理事長
永田町に「責任野党」という言葉がよみがえっている。
安倍首相が維新や「みんな」を念頭において、連携できる勢力には協力を求める、と語っているのだが、そこでキーワードになっているのが「責任野党」だ。
年輩の本誌読者なら思い出すだろうが、この言葉を使い始めたのは佐々木良作委員長の時代の民社党であり、一九七〇年代後半のことである。
脱皮できない社会党に見切りをつけ、「保守・中道協力」に路線転換する際のキーワードであった。
当時、私はまだ大学院生で、西欧の政党政治を勉強中だったが、西欧諸国では当たり前のことが、初めて日本で語られたので、膝を打つ思いをしたのを覚えている。
「政局」がらみの言葉として語られたのだろうが、革命政党でない以上、「責任野党」は当然すぎるほど当然ではないか、と思ったのだった。
英国が最も分かりやすい例だが、二大政党の下、野党はいつでも与党になれる準備をしている。
無責任な言動は取れないし、取らない。
「影の内閣」を組織しているのはその象徴であり、「責任野党」という路線は、言う必要がないくらい自明のことであった。
それから数十年して、やっとわが国でも政権交代の可能性が生まれると、英国に似た状況となっていった。
民主党も「明日の内閣」を組織し、《政権をとったなら、野党時代の主張をそのまま実行するだけ》との姿勢を見せた。ネーミングも悪くなかった。
三年三カ月の民主党政権の経験は、その態勢が充分でなかったことを教えてくれたが、反省すべきは反省すればよいのであって、
「責任野党」の路線に間違いがあったわけではない。
ところが、どうしたわけか民主党は、今、逆に「抵抗野党」の色彩を強めている。
二月八、九日の党大会で決めた活動方針も、その線で書かれている。
どうしたことなのか?
「抵抗野党」の路線など、共産党と社民党にまかせておけばよいのであり、「たしかな野党勢力」など「五十五年体制」への回帰でしかない。
特定秘密保護法をめぐり、朝日新聞などは日本が「戦前」に逆戻りしつつある、などと書いたが、そういう論調に惑わされ、認識が曇らされているとしたら、
しばらくの間、そういうメディアにふれるのを避け、頭を冷やしてみてはどうか。
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