重大な局面迎える集団的自衛権の問題
加藤 秀治郎
東洋大学法学部教授、政策研究フォーラム副理事長
毎度のことではあるが、憲法九条のこととなると「護憲派」はあの手この手と、次々に手を打ってくる。
最近も、集団的自衛権の解釈見直しを阻止すべく、実にいろいろな行動を見せている。
「憲法九条にノーベル賞を」実行委員会なる団体が、ノーベル賞委員会に働きかけをしていることなどは児戯に等しいことで、笑ってすませるが、
「立憲デモクラシーの会」となると、そうはいかない。
これまでの「九条の会」や「憲法行脚の会」と組織や人脈がダブっており、要は新しい状況の中で「護憲」運動を展開しようというのであろう。
昨年夏の参院選の頃からは、憲法九六条改正の動きに対し、「立憲主義に反する」という論法で反対していたが、今度の集団的自衛権の解釈見直しにも、
同様の論理で反対していくというのだろう。
他にも、集団的自衛権の行使容認は憲法九条に違反するとして、弁護士グループが違憲訴訟の準備を進めている。
内閣法制局でのストップがかなわなければ、最後は裁判―というもので、「護憲派」の通常の闘争手段だが、考えようによっては、自らの首をも絞めるものである。
法制局の解釈が絶対のものであるかのように語ってきているのに、最後は裁判所の判断だという、当然の論理を認めることに等しいからだ。
今後は、政党間での論理のぶつけ合いとなるが、それとともに世論相手の宣伝戦が主戦場ともなる。
カギを握っている公明党などは、「世論政党」を自称するくらいに世論に敏感で、世論の動向次第で自らの動きを決めていくことだろう。
新聞社の世論調査も結果はまちまちだが、これは尋ね方が違うからであり、回答する側の考えがまとまっていないからでもある。
まずは呼称が重要である。「解釈改憲」などという悪意を込めた呼称を一般化させてはならない。
憲法制定の経緯を明らかにすることなどで、見直しが正当なことを訴えれば、これまでの解釈こそが異常であり、「解釈是正」と呼ばれてよいのが分ろう。
幸か不幸か国際情勢は見直しに追い風となっている。
ウクライナを見ても、ベトナム、フィリピンを見ても、安全保障を呑気なテーマとしていられないのは、誰にでも感じられるのではないか。
政党だけではなく、社会諸集団もその真価を問われている。
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