集団的自衛権は「神学論争」を避けよ
加藤 秀治郎
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東洋大学名誉教授、政策研究フォーラム副理事長
大幅な延長国会に、中身ある安保法制審議を注文しておきたい。
議員よりも憲法学者の法律論が注目されるような具合で、本質から外れているからだ。
集団的自衛権行使の「合憲・違憲」解釈論争は現実離れした水かけ論で、第三者には空しいものとしか映らない。
神学論争に近く、その観点から九条論争の本質が明白になる面がある。
ユダヤ人の話だが、豚肉、海老、イカ、蛸と、食べられないものが沢山ある。
みな宗教の教義と関係あるが、解釈が微妙なものもあり、ウナギもそうだ。
『旧約聖書』に「鱗のあるものはすべて食べてよい」が、ないものは口にしてならないとある。
そこでユダヤ人の多くは、ウナギはダメと思い込んできた。
だが、長く日本に住む人の間で、ウナギの魅力に勝てず、「解釈」を変えてしまう人が出てきた。
よく見るとウナギに鱗があるというのだ。
解釈が変わると、ウナギも食べられるようになるが、「原理主義者」には通じない。
そこで論争が生じるが、まるで九条論争のようだ。
総じて論争好きらしく、米国では弁護士の多くがユダヤ人だという。
幸いなことに日本ではこういう論争は好まれない。
「これは違憲だからダメ」、「あれも違憲でダメ」と言っているのは「憲法原理主義者」だけであり、大半の国民は憲法論争に肌合いの違いを感じている。
好まれるのは、一部のメディアの間だけである。
今回の集団的自衛権論争の一つは機雷の除去で、従来の解釈では「機雷」に二種類あって、一方は除去していいが、他方はダメだった。
同じ機雷も戦闘中なら「海外での武力行使」になるので除去できないが、戦闘が終った後なら機雷は「遺棄されたもの」で除去可能とされていた。
これを改め、機雷除去に関与できる余地を拡げることが、今回の法案に盛り込まれているのだが、「ウナギに鱗があるかどうか」のような話である。
思い出してもらいたいが、憲法学者の多くは日米安保も自衛隊も違憲と主張していた。今はそれを言っても始まらないから、別の事を言っているだけだ。
解釈はこのように多様で、最後は最高裁が判断する。
いきなり法律論に入らず、安全保障のために今何が必要かの議論もしてほしいのだ。
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