コロナ禍が教える構造改革と人の転換
谷藤悦史●早稲田大学名誉教授 政策研究フォーラム理事長
新型コロナ禍の長期化を前に、日本政治は右往左往して迷走を続けている。「まん延防止宣言措置」や「緊急事態宣言」で提示される対策も、何故に導き出されたかの根拠が明確でなく、
それぞれの対策の間にも矛盾があり、非論理的で断片的、政治的営みの「稚拙さ」を浮き彫りにしている。この「稚拙さ」は、どこから来るのか。政治的営みを創る組織構造の問題と、政治的営みを担う人に問題がある。
九〇年代の橋本内閣から小泉内閣まで続いた「構造改革」の中で、地方中央を問わず行財政改革が行われ、「官から民へ」や「官から政へ」が合言葉となった。
その過程で、政策決定の中枢が「内閣府」となっていった。人々から選ばれる政治の担い手が、政治に自立的に関与する民主主義の理念からすると、「官」の手で創られた政策に乗るのではなく、「政」の自立は当然のことであった。
しかし、ここに落とし穴があった。その政治を実践するためには、「政」の根幹である「政党」そのものが高い政策立案能力を備えていなければならない。
「政党」の明確な理念や、そこから導き出される具体的な政策が、論理的系統的に作り出される必要があった。その政治改革は、「構造改革」の過程では皆無であった。
結果的に、内閣府に空白が生じた。各省庁から出向した官僚の集まりである内閣府では、各省庁の政策を調整して体系化することが不可能であるばかりか、
本来それを実行する首相を中心とした「政」も統合能力を欠いていたため、政治は漂流した。政策決定は断片化し、時の首相の意向だけが前面化する「私」の政治となった。
内閣府は、首相の「私」の政治を実現する機関となり、首相の決定を翻すことは許されず、唯々諾々と追随する。安倍内閣と菅内閣の政治である。
この構造を改め、「政」と「官」に緊張と均衡を取り戻さなければならない。政策開発能力を備えた政党改革を進め、政党間に競争と緊張を作り出す状況を作らなければならない。
「私」の政治を実践する首相から、日本の社会に必要なことは何かを考慮することに献身的な「公」の政治を実践する首相に変えなければならない。「稚拙な」政治を脱却する出発は、私たちの「投票」にある。
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