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月刊誌「改革者」2010年9月号
「改革者」2010年9月号 目次
 

羅 針 盤(9月号)
              韓国の歴史観に擦り寄る最高指導者

                          田久保 忠衛
              杏林大学名誉教授・政策研究フォーラム副理事長


韓国併合百年に関する菅直人首相の談話で韓国側が喜んだのは、 「当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられました」とのくだりだ、という。 「村山談話」を大きく踏み出しているからだと考える。 明治四十三年(一九一〇年)八月二十九日の併合にあたって韓国皇帝は勅諭の中で、「積弱痼を成し、疲弊極処に至り、 時日間に挽回の施措望み無し」と深い苦悩を訴え、「朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、 自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、 外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす」との苦渋の決断を明らかにしている。 勅諭は日本が強制したものだから無効だ、と韓国は日本に認めさせたいのだ。 当時の韓国が内にいかなる困難を抱えていたか。朝鮮半島をめぐる国際環境がいかに厳しかったか。 この国に外国の影響力が及んだ場合に、日本の安全保障がどれだけ危険にさらされるか。 その中で韓国にはいかなる選択の余地があったのか。こう考えるのが日本の立場だ。 菅談話の翌日、NHKテレビで日韓両国の若者の多討論番組を見たが、日本の立場からする主張はほとんどなかった。 日本人を含めて、大方の出席者は『まだ謝罪が足りない』の合唱だ。菅談話の効果はなかった。 セオドア・ルーズベルト大統領は日露戦争が始まったころから日本による韓国統治の必然性を認めていたようだ、と外交史家の黒澤洌は書いている。 実際に大統領はスペインから奪い取ったフィリピンに日本が干渉するのを防ぐため、米国も日本の対韓政策に喙をさしはさまないようにしたい、と持ち掛けてきた。 併合の五年前にウィリアム・H・タフト国防長官が訪日して桂太郎首相との間で結んだ桂・タフト覚書がその結果だ。 密約だった同協定がはっきり成文化されたのが高島小五郎駐米大使とエリウ・ルート国防長官との間で併合の二年前に結ばれた高島・ルート協定である。 百年前の併合条約を無効だと騒ぎ立てると、帝国主義的行動をとった国々の言動をすべて否定する動きに発展せざるを得ないし、 世界史は根本的に書き改めなければならない。 自国の歴史観をそれぞれが述べるのは自由だが、自らの史観で他国の見方を統一しようと試みるのは歴史に対する冒涜になる。 他国の歴史観に進んで歩み寄ろうとする最高指導者に至っては話にならない。
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