北の核実験を機にリアルな論議を
加藤 秀治郎
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東洋大学名誉教授、政策研究フォーラム副理事長
九月九日、大ニュースが飛込んできた。北朝鮮の五回目の核実験だ。金正恩政権は次々、
核やミサイルの実験をしてきたので、危うく馴らされ、危機感を感じないでしまいかねなかったが、大変なことだ。
北は核の「量的、質的強化を継続する」としており、韓国では核武装論が飛出している。
追加の核実験の準備も整っていると言われ、核攻撃の目標のリストには日本も挙がっている。
「実戦配備はまだ先のこと」との観測を強調している日本の新聞があるが、呑気な話だ。
ズシリと重みを感じさせるのは米国のB1爆撃機の韓国派遣だ。言葉での抗議だけでなく、力を示して対抗しているのだ。
このようなニュースに接して感じるのは、昨年、安保法制を成立させておいて良かったと思うことだ。
十分ではないが、成立していなかったら、関係者はもっとあわてただろう。
この種の問題を長いスパンで見ていての懸念は、日本国民の「健忘症」である。
何か事件があると、議論が盛り上がり、その時は対策をしっかりしようという世論となるが、しばらくすると元に戻る。
読売の世論調査でみる。
―湾岸戦争を機に憲法改正論が強まり、〇四年には六五%に達したが、次第に下がり、〇七年以降は賛否半ばだ。
別件ながら二院制の見直し論ではもっと極端で、一二年には七四%が「ねじれ国会」に手を打てとしていたのに、「ねじれ」解消の翌一四年にはもう低下している。
例外的なことに、東日本大震災から高まった非常事態法制の必要論は、世論もさめないでいるが、これも政治が指導力を発揮しないなら、数年先は分らない。
安全保障も今度の核実験を機に、「健忘症」でなく、対策を実現したいものだ。
今なら「九条があったから平和を維持できた」などと誰も語らないだろう。
常識論で議論したいものだ。―湾岸戦争後もこう語られた。
《戦争の放棄》で平和になるなら簡単で、クウェートの宣言でフセインも帰っただろうが、「イラクは帰ったりしませんよ」と。
〇一年にこう語った小林節・慶大教授は、この数年、マスコミの寵児となって安保法制に反対してきた。
ムードに弱い国民に乗じて、いろいろ主張する勢力が絶えず、言論界は混乱したままだ。
北の核を転機とし、「言論ごっこ」を終わりにしたいものである。
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