「保守─リベラル」を使わないで表現することから始めよう
加藤秀治郎
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東洋大学名誉教授、政策研究フォーラム副理事長
『改革者』では政治の言葉につきリレー討論・解説を始めた。まず、日本での近年の「リベラル」の怪しげな用法に注意が向けられ(先月・清滝氏)、
今月はフランスについての解説がある。
米ソ冷戦の終結で急にすたれたが、それまで日本政治の対立は「保守」対「革新」とされた。米国に近い政治・経済体制を選び、
国際政治でも西側陣営に立つことを明確にしていたのが「保守」であった。
対する「革新」は、内容空疎で、なぜ使われたのか理解に苦しむほどだった。
戦前に「革新将校」など、右翼の体制刷新派が自称に使った言葉を、戦後、社会党や共産党が自称に使っていたのだ。
政治言葉で特に重視すべきは、政治勢力を括る言葉で、「革新」も非自民勢力を乱暴に一括りにする言葉であった。
「五五年体制」の発足後に登場した公明党は「保守か革新か」と問われたし、社会党から別れた民社党も無用の混乱に巻き込まれた。
保革の枠に収まらないから、「是々非々」を主張したが、「革新のはずが、なぜ自民党に協力するのか」、「なぜ革新勢力は選挙協力しないのか」と問われ続けた。
政治勢力を括る言葉が、政治協力を促すのだ。
民進党はどうか?─昨年九月の代表選は奇妙なドラマだった。
蓮舫、前原、玉木の三候補とも「保守」を自認、などと報じられた。
私は自分の頭が悪いのか、不安にさえなるほどだった。
冷戦後もマスコミは混乱したままだ。
粗っぽい整理をすると、「保守」はそのままで、「革新」の代わりに「リベラル」を使うようになった。
─そう思っていたら、実際はもっと流動的で、党内の右派・左派にも使っている。
「保守系の前原は……、リベラル系の赤松らは……」という具合だ。
玉木候補自身は「リベラル保守」政党をつくる、とまで言った。
こういう状況を放置しておくなら、政治の混乱は拍車がかかるだけである。
「リベラル」は英語をそのままカタカナにして、米国の用法に近づけているつもりなのだろうが、それでも奇妙だ。米国嫌いの共産党もリベラルなのか?
以前、英国の用法に則して、自由主義と言っていたのだから、それに近いところに戻してはどうか?
こういう点を整理するためにも、
「保守─リベラル」を使わないで表現することを、始めてはどうか?
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