経済再建は当然だが、社会の改革も視野に入れよ
加藤秀治郎●東洋大学名誉教授、政策研究フォーラム副理事長
コロナ禍の今後は分からないが、一定の収束を見たなら、議論はまず経済再建に向かうだろう。それは必要で当然のことだから、本気でやらなければならない。
二〇〇八年の「リーマンショックなみか、それ以上か」とか、「いや、一九二九年の世界恐慌なみか」などと語られるのは、その現れである。
ただ、社会の在り方を見直そうという機運が出ているのも確かである。「東京一極集中の是正」「本格的な働き方改革」などがそうだ。政治学者の私はこの延長上で議論したい。
過去に参照すべき例を求めるなら、一九七三年のオイルショックではないか。石油価格の大幅引上げで、高速道路を走る車が激減した。高度成長に酔い痴れていて良いのか、と問われた。
その一年前、ローマクラブの『成長の限界』が出て、ベストセラーになった。国際研究チームが、「現在の傾向が続くと、百年以内に地球上の成長は限界に達する」との報告書を出し、警鐘を鳴らしていた。
現在、わが国でもコロナ禍だけでなく、この数年来、大雨の被害が続き、何かしら不安を抱かせる状況になっている。経済だけでなく、最低限、こういう問題をも視野に入れて議論したいものである。
ドイツ生まれで、英国で活躍していた社会科学者ダーレンドルフは、オイルショックを受け、『現代文明にとって「自由」とは何か』でこう説いた。
戦後の「量的拡大」の成長志向から脱し、「質的改良を志向する社会」へ転換を図るべきだ、と。
この課題を担う政治勢力として、彼は中道改革派を想定し、そこに大きな可能性を見ていた。
当時のわが国では、ドイツ社民党や英国労働党をモデルに、旧来の左派路線から脱し、福祉社会を建設する勢力としなければならない、と語られていたが、西欧では課題はもっと先にある、とされていたのだ。
私は、ドイツ留学から戻るとすぐこの本を訳し、学者人生のスタートを切った。改革者の知的な課題はいつも同じで、旧式の議論に安住していてはならない、ということだと思う。
コロナの「禍」も、政治・経済・社会の転換の契機にして、「福」につなげたいものだ。国際的な取り組みも不可欠で、こちらでは「中国にどう向き合うか」との視点を持ちたい。
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