大統領選を機に「選挙」を考え直そう
加藤秀治郎
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東洋大学名誉教授、政策研究フォーラム副理事長
米大統領選はバイデン勝利となったが、米国民は今回を機に大統領の選び方を本格的に議論すべきだろう。
少し前までは、わが国でも米国式に学べ、との声があったが、米大統領選の不合理が目立っている。
「神々は細部に宿る」というが、些細なことと思われがちなことにも、時には重要なことがある。
選挙人総取り方式など、いつまで続けるつもりなのか?
哲学者オルテガは、「民主主義はその形式や発達程度とは無関係に、一つのとるにたりない技術的細目にその健全さを左右される。
その細目は選挙の手続きである」と言った。その選挙制度のさらに細部にも、ゆるがせにできない点がある。
国民の一票一票をそのまま集計すればよいのに、州ごとの総取り方式だから、勝敗を分ける州ばかりが過大な影響力を行使する。
激戦でない州に住む人は、選挙キャンペーンは手抜きされ、何も結果に影響できないようなものなのだ。
「自分たちの声も聴け」と叫びたくなろう。
わが国とて問題は山積している。
学術会議の件なども、実は政治学会など各種学会の役員選挙がひどい低投票率で、役職や肩書の欲しい有力大学の関係者や、政治的に熱心なグループの声が過剰に反映されやすいのが背景だ。
周辺の狭い範囲のことしか知らないが、見直しが必要なのは当然だろう。
大統領選と並行して小さなニュースになった選挙に、東大総長選がある。なんでも三人に候補者を絞った上で、投票に委ねる方式になったようで、候補者選考がおかしいと一部教官が騒いだ。
真相は分からないが、候補者の確定が投票以上に重要なことがあるから軽視できない。
われわれも周辺の選挙の在り方を、考え直してよい。私の側聞した大学の学部長選挙だが、直接に互選していた方式を、立候補制に改めてから、一変したという。
「出たい人より、出したい人を」という言葉があるが、「出したい人」は遠慮がちで立候補しないから、「出たい人」の中から選ぶしかなくなった、というのだ。
細部とはいえ、ゆるがせにできない結果をもたらすのだ。選挙制度を専門としてきた私も、考察が浅はかだったことを深刻に反省させられた次第だ。
地方選挙など、再考すべきは沢山ある。
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