民主主義の政治と政権交代
谷藤悦史
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早稲田大学政治経済学術院教授、政策研究フォーラム理事長
時は確実に進み、二〇二一年という新たな年を迎えた。新型コロナ感染症の拡大が続く中、皆さんが罹患されることなく、安全で安心な生活を続けられるようになることを心から願うばかりである。
同時に、読者の皆さんにどのようなメッセージを伝えるのが望ましいのかと考えながら歳末を過ごすことになった。
二〇二〇年は、新型コロナばかりでなく、いくつかの変化に直面した。「美しい日本」を創ると称して政権の座にあった安倍政権は、日本経済の再生や地方再生も実現させることなく終わってしまった。
後に続く菅政権は「安倍政治の継承」を謳って、デジタル改革、通信料金の値下げ、最低賃金の底上げなど、脈絡もなく打ち出している。
何故に安倍政権を継承するのか、羅列的な政策が日本の政治や経済にいかなる意味を持つのかについての丁寧な説明すらなされない。
「GO Toキャンペーン」も同じである、不確かの中で政治が進んでいる。
新政権の誤りはどこにあるのか。民主主義の根幹にある「政権交代」という政治事象の意味するところの無理解にある。民主主義は、人間に理性が備わり、合理的な判断をなすことを前提にしているが、
時にその判断が間違うことも認めて、その過ちに対応する制度的仕組みを内包している。それが正しい手続きによる「政権交代」である。
過ちを最大化させないために、政権を交代させ、権力の担い手、それに関連する人の流れ、政策の内容や政策実現の手段を変えるのである。「政権交代」を実質化することによって、民主主義の政治は成熟するのである。
何が必要なのか? 出発は、安倍前政権の政治の冷徹な検証であろう。それなくしては、何ら新たな試みが展開されることなく、安倍政権の残滓の中で政治が続けられる。
それは、政治の停滞と失敗をもたらすことになろう。現状は悲惨である。新しい年にあっては、「政権交代」したことの意味を問い直し、前政権の検証を行って、脱皮することが求められる。
それなくしては、日本の政治を停滞させるばかりでなく、日本の民主主義そのものも成熟させない。菅首相にその自覚はあるのであろうか。
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